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風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!


「提言する阪神大震災/復興の条件③」

05/08/2011

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災害緊急サムライ社説
「提言する阪神大震災/復興の条件③」

「何がよろしい? カーネーション?」。ハッと我に還り、店員から逃げるように私は、その花屋を離れた。ここは平和そのもの。だが、ここから車でたった30分の街は今も地獄だ。そうか、あれから未だ1週間しか経ってないのか? そう思うと、何事もなく商う花屋の当たり前さ加減が、私にはまったく理解できなかった。地下街の食堂や喫茶から漂う臭気に、かつての満ち足りた時間を思い出す。地上への階段を登りながら、名物の電光掲示板が回る丸ビルの後ろ背に、どこまでも青くてバカ陽気な空が高く見えた。うつろな気分で「緑の窓口」に辿り着き、東京までの新幹線の指定券を注文すると、素っ気ない駅員は一昨日来いと言わんばかり、窓越しの小汚い「着たきりスズメ」に硬券切符を放り投げた。殺してやりたいほど何もかも許し難い、冷たい大阪の街はそれほどまでに、平和だった…。

読者の皆様、ご機嫌如何でしょうか。去る3月、宮城県三陸沖で発生した「東日本大震災」は、激烈な破壊力をもって多数の尊き人命を奪いました。また今回の地震は、原子力発電所被災という厄介な問題をも誘発させ、我が国は未曾有の惨劇に包まれました。家や家族を失くした人々、また放射能汚染で避難を余儀なくされた人々、彼らは苦しい避難所の生活を強いられ、今この瞬間も苦悩の時を過ごしています。
さて、お届けしております当緊急企画は、1995年の「阪神・淡路大震災」で被災しました不肖、私サムライギターリストが自ら味わった経験を基に、今回の震災の「実質的な復興計画」を考えるものでございます。なお、当企画の第1回目では昭和文学タッチの「書き下ろし随想」をお届けしましたが、予想を超えた読者皆様の反響に応え、続きのお話となりますその第2話を今回より特別に進めさせて頂きます。孤独と絶望、恐怖と不条理が空しく殺伐と過ぎる、阪神大震災発生直後サムライギターリスト死闘の7日間。長らくお待たせしました、では早速、お話の始まりです!

「俺、実家に帰るで」。震災発生から3日目の夕方、カメラマンで居候の奥本が口にした。遅かれ早かれそう来るだろうと粗方の予測はしていたが、奴を引き止める術は今の私にはなく、むしろ「勝手にしろ!」と言ってやりたかった。というのも18日の朝、部屋に戻ってくるなり1万円のピン札10枚をヒラヒラさせ、得意げに奴はこう言うのだ。「あの下敷きになった女の子を助けたボーナスや、これは。こんなカネ返さんでええ。区役所の奴らもアホや、被災緊急貸付なんて言っておいて、『身分証明を見せろ』とも訊かへん。一家6人全員を列に並ばせて、それも2回づつで合計120万くすねた奴もおる、ボロ儲けや。お前も早く行ってこい、ボヤボヤしてると貰い損するぞ!」。その言い草が癪に障った私は、「下司な話やな。それに、そのカネは『貸付』であってロハやない。ドサクサに紛れて火事場泥棒みたいなことやると、お前いつかドえらい目に遭うぞ」と奴を罵った。確かに、予定外の入金は音楽貧乏の私にもありがたい、カネは何時だって邪魔にならない。しかしそんなもの、こんなズタズタになった街で何の役に立つというのか? また直感的に、そのカネは絶対に手をつけちゃいけない気がした。窓越しに遠く立ち昇る黒煙。奥本の浅はかさに落胆した私は、腕を組み憤然と東の空を眺めやった。10分で荷物をまとめた奥本は、夕日が傾いて暗くなる部屋に私ひとりを残し、さっさと出て行った…。 
奥本と入れ違いでピアニストの笹原が、缶コーヒーを携え部屋に入って来た。あの現金で救いようのないい楽天家とはうって変わり、今日の笹原は凹んだ様子で座るなりタメ息をついた。新聞集配所の親方に頼んで閑を貰ったと告げ、「また大きな地震が来るって話だ。ここに居てどうする? ギターと一緒に心中か? とっとと逃げようゼ」と、この東京者はせっかちに訴えた。そう言われても、職場のことも気になるしギターも置き去りにしたくない、さりとて実家になぞ帰る気にもなれず、私の態度は終始煮え切らなかった。それにしても笹原よ、一体お前はどこに逃げるというのか? 故郷の鹿児島へ? それとも一度失敗した古巣の東京? お前は逃げても俺は絶対に逃げない、逃げちゃいかんのだ絶対に! 私は心の中でそう叫んだ。胡坐を組んだふたりの間に、無言の時が流れて行った。業を煮やした笹原は、冷めたコーヒーを飲み干しそっと立ち上がると、済まなそうに小声で言った、「じゃあ俺、行くよ」。奥本そして笹原も去り、逃げなかった私はついに独りに、なった…。
陽が暮れた…。死の静けさが満ちた、見放されたような部屋。最期の頼みの水も止った。ロウソク1本を囲んで缶詰を分け合った相棒も既になく、取り残された私は此処に来て「孤独」の本当の意味を、知った。たびたび訪れる余震。余震が怖いというよりも、夜を独りで迎える自信が目下の自分にはない、それが本音だった。痩せ我慢せず、此処は避難民の仲間に入った方が良さそうだ。というワケで、取る物もとりあえず須磨寺境内のお堂つまり仮避難所に、その夜から移ることにした。そこには、年配や年寄りが多く寄り添っていた。横になったまま動かぬおばあさん、放心して座り込む商店街の男たち。家を失くした誰もが皆、精も根も尽き果てた様子で蹲っていた。仏様の前で隙間風に揺れるロウソクの火。疲れ果てた彼らの皺深い顔を、淡い灯りが侘しく照らす。今日から此処での生活が始まるかと思うと、未来を絶たれた服役囚にでもなった気分で、今さらながら笹原について行かなかった自分が間抜けで、いまいましく思えた。何もかも生まれて初めて見る恐怖。私は、部屋から持ってきた海兵隊の寝袋を床に敷き、無理に目を閉じた。寝床の下の凍ったコンクリートは夜を通し、私の体を芯まで冷やすのだった…。
夜が明け、私は、中心地の惨状を観に行くことにした。三宮まで徒歩で行くのは初めてだ。須磨駅から山陽本線の線路を大阪に向かって歩き始めると、誰が乗り捨てたのか小さな自転車が、天神橋の踏切に寂しく転がっていた。ネコの「キティちゃん」の絵が入る、ピンク色の子供用自転車。そういえば昔、妹が「キティちゃん」の弁当箱を持ってたっけ? でも、この「キティちゃん」は心なしか、今は泣いているように見える。自転車窃盗犯にはなりたくないが、「キティちゃん」を置き去りにする輩はもっと重罪だ。私はその自転車を拾い、荷物を載せる手押し車にすることにした。「ハローキティ」とはよく言った。遮断機が閉じたままの踏切で、「キティちゃん」が私の新しい仲間になった、そんな気がした…。

「キティちゃん」を押しながら妙法寺川を超え、鷹取、新長田と過ぎるに従い、街の様相はますます深刻の度合いを深めた。線路沿いに建ち並ぶ倉庫群は徹底的になぎ倒され、トタン屋根の工場街は空襲の跡のようにほとんど廃墟だった。新湊川を渡る頃、急に心臓の高鳴りを覚えた。次の駅は兵庫で、つまりこのまま直進すると、駅を越えた辺りで防山の家にぶつかる。私にギターを初めて教えた防山、防山を通して出逢ったギター、そして大きく変った私の人生…。高校卒業以来、めっきり会わなくなったが、奴はどうしているのだろう? この破壊ぶりからすると、縫製工場2階の奴の家は間違いなく倒壊している、と思われる。が、1階よりも2階の方が安全なはずだし、あの女子大生ですら九死に一生を得たのだから、奴ら家族もたぶん無事だろう。そう自分に言い聞かせるも、早鐘打つ心臓は私の足を兵庫駅へと急がせた。長田界隈の延焼は止る様子もなく、ゴムの焼け焦げた臭いのする煙が旋風を巻きながら、追い風に乗って線路の砂利を駆け抜けて行った…。
「防山~ッ!生きとるんかァ?」、砕けた材木とモルタルが重なり合う、朽ち果てた家の前で私は、奴の名を幾度か呼んだ。瓦礫の頂上に針山の如く屹立するガラス片が、死の輝きを発していた。どうやら私の予想は気休めだったようだ。これじゃあ奴らはとても生きてはいまい、1階どころか2階の方がめちゃくちゃな、そんな潰れぶりだ。無駄な抵抗とは知っていながら、瓦礫に向かって小石を投げてみた。何処からか応答があるかもしれないと思ったからだ。が、パチンコ台の玉が釘の間を下るように、コロコロと小石は情けなく転げ落ち、やがて瓦礫の隙間に消えた。「やっぱり、ダメだったな…」、私はその場にガックリ崩れた…。
「あんた、防山さん家族と知り合いか?」、うなだれる私の肩越しに聞こえる声の主は、作業服姿の見知らぬ中年だった。頷くと、「なんでも、傾いた家から寝巻きのまま飛び出した直ぐ後に、全部崩れてこうなったらしい。オヤジさんは足にケガしとったけど、まァ不幸中の幸いやったな。心配すんな。今、皆で避難所におるはずや。どこの避難所かは知らんけどな」、そう言い終え、中年はそそくさと去って行った。恥もなく私は、埃だらけの道の上に仰向けになった。薄く煙る上空を見ながら大きく深呼吸すると、白煙が切れた視界の果てに、いつものあの透き通った神戸の空が一瞬、キラッと見えた。振り向くと、自転車の「キティちゃん」が私に小さく笑った、そんな気がした…。(次回に続く)


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ギタリスト、作曲家。兵庫県神戸市出身。13歳よりギターと作曲を始める。88年、大学在学中に渡米、各地でアメリカの伝統音楽を修行。帰国卒業後、セッションとツアーワークをこなし、98年シドニーに音楽活動の拠点を移す。99年4月「サムライギター教室」を開講。同年「サムライ・ミュージック・エンターテイメント社」を発足、同社代表。01年、初のギターソロアルバム『Rising Sun/Acoustic solo』をリリース。本年2月、創作に20年レコーディングに5年の歳月を費やしたセカンドアルバム『Industrial Complex/Rising Sun Ⅱ/Electric solo』を発表。コンテンポラリーギターとポップフュージョンの追求を今も続ける。ギタースクールでは音楽基礎からの丁寧な指導をモットーに、現地高校での英語によるギター指導、国籍年齢を問わず延べ500人以上を教える。ギター指導歴20年。APRA認定会員。本誌コラムを10年以上にわたり執筆。趣味は日本近現代史・日本海軍史・司法犯罪史・米国史ならびにアメリカ音楽史の研究、時事討論、読書、料理、映画鑑賞。当コラムのご意見ご感想は samuraiguitar.com もしくは samuraiwest@hotmail.com まで。

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子供用自転車の「キティちゃん」を新たな相棒に加え、防山の無事を見届けた私は山陽本線の高架橋に沿って、さらに東に進んだ。神戸駅前のD51広場から中央郵便局を右目に栄町通、中華街の南京町を抜け鯉川筋に出ると、そこに立体駐車場のMKパーキング、即ち私の「昼の職場」が在る。12階建てビルに匹敵する、収容220台のタワーパーキング。ノッポの立駐は中途から折れることなく、相変わらずその長身を空高く聳え立たせていた。私は、職場の仲間が誰か来ることを願い当座、鍵の閉じた立駐事務所の前で時間を潰した。すると間もなくし、自転

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