オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
娯楽記事

風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!


「提言する阪神大震災/復興の条件④」

05/08/2011

このエントリーをはてなブックマークに追加

災害緊急サムライ社説
「提言する阪神大震災/復興の条件④」

子供用自転車の「キティちゃん」を新たな相棒に加え、防山の無事を見届けた私は山陽本線の高架橋に沿って、さらに東に進んだ。神戸駅前のD51広場から中央郵便局を右目に栄町通、中華街の南京町を抜け鯉川筋に出ると、そこに立体駐車場のMKパーキング、即ち私の「昼の職場」が在る。12階建てビルに匹敵する、収容220台のタワーパーキング。ノッポの立駐は中途から折れることなく、相変わらずその長身を空高く聳え立たせていた。私は、職場の仲間が誰か来ることを願い当座、鍵の閉じた立駐事務所の前で時間を潰した。すると間もなくし、自転車に乗った同僚の川森さんが緩い坂を下ってやって来た。「お~ッ、生きとったんやなァ~!」、初老は目を潤わし、我が子を案じるが如く私の無事を喜んだ…。

読者の皆様、ご機嫌如何でしょうか。去る3月、宮城県三陸沖で発生した「東日本大地震」は、激烈な破壊力をもって多数の尊き人命を奪いました。また今回の地震は、原子力発電所被災という厄介な問題をも誘発させ、我が国は未曾有の惨劇に包まれました。家や家族を失くした人々、また放射能汚染で避難を余儀なくされた人々、彼らは苦しい避難所の生活を強いられ、今この瞬間も苦悩の時を過ごしています。
つきまして当緊急企画は、1995年の「阪神・淡路大震災」で被災しました不肖、私サムライギターリストが自ら味わった経験を基に、今回の震災の「実質的な復興計画」を考えるものでございます。なお、当企画では読者の皆様のご好評により、書き下ろし随想も押し込んでお届けしております。孤独と絶望、恐怖と不条理が空しくも殺伐と過ぎる、阪神大震災発生直後サムライギターリスト死闘の7日間。ではその第3話、早速進めて参りましょう!

人生40年も大先輩の川森さんとは妙にウマが合い、職場の仲間という以上に私にとって氏は貴重な存在だった。阪神大空襲、占領軍の神戸進駐、戦後復興そして組織暴力団の暗躍秘話と、おのれの目で逐一それらを見て来た川森さんは、終戦神戸を知る唯一の生き証人だった。一昨年に奥さんを癌で亡くしたご仁は、私と同い歳の娘さんと二人で市営住宅に暮らすが、話によると震災の朝、寝ていたベッドに洋服タンスが倒れ、大怪我は免れたものの着の身着のまま這い出し、ようやく避難所に落ち着いたとのことだった。川森さんは「死んだ家内が守ってくれたんや」と目を瞬き、しきりにそれを繰り返した…。
「それにしても、エライこっちゃで!」、銀行ビルと立駐狭間の通称「雀荘通り」の並びがペチャンコな状態に、我々はア然とした。重厚な螺旋階段が美しかったアールデコの証券ビルも瓦礫の山だし、薬局隣のゲームセンタービルも80度の傾斜だ。数年前に完成したスマートなタイル張りの銀行ビルは、最新設計なので目立った損傷はない。50メートル南の大丸神戸店も辛うじて無事だ。ここは神戸の中心地、幕末に外国商館が立ち並んだ旧居留地の元町一番街。備前藩士がフランス海軍の水兵を無礼討ちした、生麦事件に並ぶ「神戸事件」、その発祥地である三宮神社までは、立駐から歩いて30秒の距離だ。事件を物語る100年前の大砲の砲身が、哀れにも神社前の路肩にゴミ同然の姿で転がっていた…。
立駐はすかいに何やら人だかりがする。川森さんと連れ立ち、車の往来が皆無な埃まみれの大通りを渡り、人垣の前に出てみて驚いた。なんと、肉屋の「ヤリモ」が営業しているではないか! それもロースの青二才…彼の本名は知らないが、体重が100キロ以上もある丁稚奉公の肥満青年なので、界隈の連中は彼を「ロースの兄ちゃん」と呼んでた…が大鉄板を前に、お好み焼きのヘラでジュージュー音のする肉をひっくり返しながら、一舟500円で売りさばいていた。神戸肉の卸で創業明治のこの肉屋は、店頭に「神戸復興がんばろう!」とデカデカ墨書きするも、店という店が沈黙するのを尻目に酒まで出し、朝っぱらから屋台営業しているのだ。「ヤリモの肉がこの安さで食べれるとはねぇ、いっちょう買うたろか?」と私が無邪気に喜ぶと、ガラの悪い新開地という土地で永年パチンコ店を賄い、世の裏表を痛いほど知る白髪の同僚が私の肩に手を置き、すかさず切り出した。「おいロースの兄ちゃんよ、お前んとこの店はナニか、腐りかけの肉使ってイカサマ商売やるんか?」、私はハッとした。電気が止って既に久しい、なるほど、そういうことだったのか…。ややもすると肉屋の猪八戒は、「背負う暖簾、漬物石よりも重し」と云わんばかりに、いつものブタ色の頬をもっと紅潮させ、青二才の分際で一人前にわめき始めた。「こっちは『買うてくれ』って頼んだ覚えはあらへん。おっちゃん、商売の邪魔せんとってか? そっちのギターの兄キは、どないすんねん? 買うんか買わへんのか? こっちのお客さんたち、『朝からメシ抜きでハラ減っとります』って顔に書いとるで~」。取り巻きの群集からドッと失笑が起こった。空腹が萎え人垣を離れた私が「徹底した社員教育やなァ」と呆れると、川森さんが「ロースが吠えるのも無理はない、そろそろ皆クビの心配を始める頃や。家が潰れた挙句に失業って話になりゃ実際、洒落ならんワケや」と、先を見通したような言葉を吐いた。私たちは事務所前に戻り、複雑な気持ちで店長の出勤を待った…。

私たちがタバコを延々吸い続けても、店長はとうとう現れなかった。この調子じゃ、明日明後日の営業再開などあろうはずはない。私と川森さんは話し合った結果、後日また改めて出直すことにし、無事の再会を約束し合い元町駅の前で別れた。日没まではまだ時間がある。よし、街を隈なく歩いてみよう! この「大震災」という歴史的大事件を生涯忘れぬためにも、いまこの目に焼き付けるべきだ。そんな気持ちで私は独り、静かになったセンター街のアーケードを歩き始めた…。
海岸通りからトアロードを北に上ると、予想通り、三宮界隈は目を覆いたくなる惨憺たる光景だった。映画評論家の淀川長治が若かりし頃に通った阪急会館は、今や見る影もなく鉄筋をあちこちにむき出し、解体寸前の単なる産業廃棄物だった。港から上陸する船乗りや怪しげなドイツ人の溜り場だったミュンヘンビアホール、香り高い神戸コーヒーの老舗「にしむら」は、隣のビルにもたれ掛かった無様な格好を晒していた。足早の通行人は、それらの倒れ掛かった歴史深い建物の前で足を止めると、「信じられない」と言いたげな顔つきで呆然と立ち竦んでは、またいずこかに歩き去って往くのだった…。
新生田川橋に近い公園で、不思議な光景を目にした。炊き出しに熱心な幾つかのボランティア団体の中に、窓がなくて真っ黒い不気味な大型バスを炊事場にした、無料配給所を出す異様な軍団。バスの車体には白墨書きで「大日本○○会」、右翼団体だ! 恐怖よりも面白さが先に立ち、誰も近寄らない右翼の店先に立ち寄った私は、迷彩服とは不釣合いな連中の額に汗する姿を、面白可笑しく見入った。「ギターの兄さんやんけ?」、突然、彼らの中から素っ頓狂な声がした。その声の主は、毎週日曜日の昼時に街宣車で乗りつけ、あの「ヤリモ」の店先に陣取っては教育勅語をがなり立てる街宣右翼の、新入りで下働きの青年だった。毎日曜日の演説中、我が駐車場に青年がバケツ一杯の水を貰いに来ていたことから、青年と私とは顔見知りだった。日の丸に「報国」と記す鉢巻を締めた青年は、上役に何かを囁くと、「いつも水を世話になって」と上役はペコペコ頭を下げ、さあ座れと私にイスを勧めた。それにしても、テーブルの上に並ぶ「おにぎり」に「焼きソバ」、それに「うどん」と、もの凄い食べ物の量だ。朝から何も食べず、「ヤリモ」で焼肉を食いそびれた私は空腹の極みだった。相手が右翼であれ何であれ、この際、ありがたく戴くは適当と考え、角刈りやパンチパーマに勧められるがまま、貪るようにそれらを食べた。五目ご飯の握り飯も去ることながら、「スタミナうどん」はダシがたっぷり利いて、味は申し分なかった。
満腹で一息ついた私は、青年にタバコを勧め「親元は神戸か?」と訊ねると、高校を出たばかりの初心な顔は、「姫路の東や」と短く答えた。数秒置き、追って私は尋ねた、「親に顔を見せに帰らんでええんか?」。はつらつさが消え、急に薄い影がブラインドのように青年の横顔を覆った。私は慌てて、「それにしても、この『スタミナうどん』は最高や。商売しても立派に通用する味やで。被災した皆に食べて貰えるとええな」と水を向けると、「こんな時やからこそ人助けせんとね…」と嬉しそうに洩らし、青年はまた元気よく丼を並べ始めた。「ヤリモ」が商売で復興を演じ、その肉屋の店先で毎度々々人騒がせな街宣右翼の、今日のボランティア。滑稽に思うも、そんなヤクザな連中の中に「人の心」を微かながら見た気が、私はした。彼らに何度も礼を言い、私は「キティちゃん」を押して公園を離れた。振り向くと、どんどん押し寄せる群集に向かい、「いっぱい食べて景気付けてくらさい!」と声高に叫ぶ鉢巻青年の姿が、公園のフェンス越しに、見えた…。(次回に続く)


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ギタリスト、作曲家。兵庫県神戸市出身。13歳よりギターと作曲を始める。88年、大学在学中に渡米、各地でアメリカの伝統音楽を修行。帰国卒業後、セッションとツアーワークをこなし、98年シドニーに音楽活動の拠点を移す。99年4月「サムライギター教室」を開講。同年「サムライ・ミュージック・エンターテイメント社」を発足、同社代表。01年、初のギターソロアルバム『Rising Sun/Acoustic solo』をリリース。本年2月、創作に20年レコーディングに5年の歳月を費やしたセカンドアルバム『Industrial Complex/Rising Sun Ⅱ/Electric solo』を発表。コンテンポラリーギターとポップフュージョンの追求を今も続ける。ギタースクールでは音楽基礎からの丁寧な指導をモットーに、現地高校での英語によるギター指導、国籍年齢を問わず延べ500人以上を教える。ギター指導歴20年。APRA認定会員。本誌コラムを10年以上にわたり執筆。趣味は日本近現代史・日本海軍史・司法犯罪史・米国史ならびにアメリカ音楽史の研究、時事討論、読書、料理、映画鑑賞。当コラムのご意見ご感想は samuraiguitar.com もしくは samuraiwest@hotmail.com まで。

このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事

子供用自転車の「キティちゃん」を新たな相棒に加え、防山の無事を見届けた私は山陽本線の高架橋に沿って、さらに東に進んだ。神戸駅前のD51広場から中央郵便局を右目に栄町通、中華街の南京町を抜け鯉川筋に出ると、そこに立体駐車場のMKパーキング、即ち私の「昼の職場」が在る。12階建てビルに匹敵する、収容220台のタワーパーキング。ノッポの立駐は中途から折れることなく、相変わらずその長身を空高く聳え立たせていた。私は、職場の仲間が誰か来ることを願い当座、鍵の閉じた立駐事務所の前で時間を潰した。すると間もなくし、自転

この記事を詳しく見る

CATEGORY

風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!

CATEGORY

娯楽記事

Side girl 2019 0701
Side 2

FOLLOW US

SNSで最新情報をゲット!

NEWSLETTER

メールで最新情報をゲット!

メールを登録する

COUPON

オトクなクーポンをゲット!

全てのクーポンを表示