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風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!


「提言する阪神大震災/復興の条件5」

22/08/2011

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災害緊急サムライ社説
「提言する阪神大震災/復興の条件5」

右翼の鉢巻青年に心づくしの歓待を受け、満腹満たされた私は子供用自転車で相棒の「キティちゃん」と共に、新生田川橋の「炊き出し公園」を去った。激震で徹底的に破壊された街の惨状をこの目に焼き、夕間暮れの北野坂を登って辿り着いたそこは、神戸港を一望に見下ろす異人館街だ。東京生まれの人間が東京タワーに用がないように、お金を落してくれる観光客には悪いが、土地の神戸っ子には「風見鶏の館」など、どうでもいい。不平等条約時代の象徴である紅毛外商のそんな歴史的残骸物よりも、私にはもっと憂慮すべき場所があった。無事を祈りつつ私は、諏訪山の山腹が迫る十字路を山本通に右折した…。

読者の皆様、ご機嫌如何でしょうか。去る3月、宮城県三陸沖で発生した「東日本大震災」は、激烈な破壊力をもって多数の尊き人命を奪いました。また今回の地震は、原子力発電所被災という厄介な問題をも誘発させ、我が国は未曾有の惨劇に包まれました。つきまして当緊急企画は、1995年の「阪神・淡路大震災」で被災しました不肖、私サムライギターリストが自ら味わった経験を基に、今回の震災の「実質的な復興計画」を考えるものでございます。なお、当企画では読者の皆様のご好評により、書き下ろし随想も押し込んでお届けしております。孤独と絶望、恐怖と不条理が空しくも殺伐と過ぎる、阪神大震災発生直後サムライギターリスト死闘の7日間。ではその第4話、早速進めて参りましょう!

「君の乗り物は何時からお子様自転車に変ったの?」。アメリカンカスタムバイクで日曜礼拝に乗り付けるのが常だった私を、札幌生まれで神学校を卒業したばかりの牧師が、からかいながら門前で迎えた。「バイクを降りても、二輪車にはどうやら縁があるみたいです」。ヘンテコな言い訳をし、私は「キティちゃん」のサドルを叩いて笑った。私はおろか牧師すら未だ生まれていない昔、アメリカ南部のキリスト教宣教師団により、コロニアル様式のこの教会は建てられた。老巧化が進み、補強改築の問題が総会で話し合われていた矢先、激震は図らずも古ぼけた会堂を襲った。が、会堂は神に守られたのか奇跡的にも崩れなかった。内部は逃れて来た人々を抱えて一杯で、長椅子の隙間からヒソヒソと不安げな声が漏れる以外、中は薄暗く陰気で静かだった。十字架塔の真下に位置する通称「ピンクの部屋」は平時、私を含む青年会の連中が三宮で深酒して終電を逃した時や、界隈のホームレスが往き場を失くして仮泊する、ある種の「駆け込み寺」だった。その小部屋も今は溢れんばかりの毛布と枕が占める、緊急物資の集積場と化していた…。 教会幼稚園職員室のテーブルの上には、握り飯の大皿と弁当の山積み、湯飲み茶碗やプラスチックのカップが整然と並んでいた。魔法瓶の熱いコーヒーを貰い受けながら、「何か手伝えることはありますか?」と私は尋ねた。長身の牧師は不眠続きの赤い目で、「婦人会の人たちも手伝ってくれてるし大丈夫だ。君の方こそ避難所暮らしで大変だろ? 君は君の心配をしろよ」と、からかい半分に私を諫めた。「ただ…」、急に表情を改めると「次にまた大きな地震が来たら、ここはもうダメかもね…」と、口ごもりながら付け加えた。背後から幼稚園の先生が彼を呼び、反射的に立ち上がった牧師は私を独り残し、慌しく園庭へと駆け出て行った。震災発生から丸3日、まだ何もかもが混乱しているのだ。手持ち無沙汰な私は、皆の仕事の邪魔にならないよう挨拶もそこそこに、そっと教会を辞した…。
陽がとっぷり暮れ、あたりが急に暗くなった。異人館街の山本通を抜け、追谷墓苑下の山手の道を西に進む。緩い坂を下るうちに、中央区から兵庫区へと地番が変った。どこもかしこも埃っぽくて唇が乾く。平野の交差点を過ぎ雪ノ御所町に入ったので、旧拘置所近くの合田の家を訪ねた。高校の部活で一緒だった防山、そして合田。防山の家と同様、古い合田の家もヤバいと思われたが、木造建築の四軒長屋はいつもと変わりなく無事だった。狭い路地に入って直ぐ2軒目の引き戸をガラッと開けると、下町生活特有の臭いが香る家の奥から奴のおばちゃんに続き、ドテラ姿の合田が出てきた。「心配で寄ってみたんや」、私がそう短く告げると「あんたも生きとってほんまに良かった…」と膝を突き、おばちゃんがポツリ言った。しかし、この日の合田はなぜか私の訪れに、不機嫌だった…。 「どうせメシでもたかりに来たんやろ? 大したもんはあらへんゾ」。冗談じゃない! 腹なんか減ってない、心配して様子を見に来ただけだ。私の言葉などロクに耳も貸さず、奴はぶつくさ言いながら簡易コンロでオジヤを暖め直すと、手早くそれを差し出した。湯気の立つ丼の器の前で私が、「昼のニュース聴いたか?

行方不明者が想像以上や」と水を向けると、大儀そうに姿勢を崩す奴から意外な返事が飛んで来た。「直ぐにでもボランティアに出るつもりや。募集を始めるらしいんで明日、区役所に行って登録しよう思ってな」。私は驚きのあまり食べかけたオジヤの箸を止め、愕然とした。そんなバカな! 私でさえ他人のことなど考える余裕のないこのご時勢に、親の脛をかじるノラクラな男がよりによってボランティアとは! 理由を問うと、「ワケなんかあらへん。五体満足で生き残った人間が当然のことをやるまでや」、これにも2度驚いた。しかし、ものの数秒もすると私の動揺は収まった。なぜなら、その勇敢な思いつきが実は毎度お馴染、この男の十八番だと直ぐに察知したからだ。他人様はイザ知らず奴に限って言えば、ボランティアなどと突拍子もないオトギ話が出るのは、インテリを自称するも整合性に欠け、自分に都合の良い博愛正義を吐いては中途半端に物事を投げ出すクセのある、日頃の合田を私は知っていたからだった…。 理想を現実に変える努力こそ、理想が夢想に留まらない「証」なワケであって、行動が伴わなければ立派な「愛」を幾千語っても、残念ながら意味はない。午後に立ち寄ったそれぞれの場所で、右翼の連中や教会の仲間が愚痴ひとつ溢さず額に汗して働いている姿を、私はつぶさに観た。そんな光景が未だ鮮明なだけになおさら、奴の口にする数々が無責任なものに聴こえ、妙に私の癇に障った。それからというもの合田は、市の対応の甘さだの、来たる義捐金分配をどう民主的に進めるかだの、独自の論陣を張っては薄バカそうな私を肴に嬉々延延、「合田流神戸復興計画論」の特別講義を続けるのだった。対し私は、高僧の説法にうやうやしく耳を傾ける初心で生真面目な修行僧の如く、いちいち頷いては納得するふりをした。そして、その壮大で胡散臭い論釈に耳を傾ける間、私は、どうやってこの逆上せ上がったインテリ野郎をとっちめてやろうかと、襲撃のチャンスを静かに待った…。 サイレンけたたましい消防車の隊列が、石井橋の方から夜の闇へと走り去るのが聞えた。演説が途切れがちになり、ほとんどど灰になったタバコを灰皿に押し付けると、思い出したように合田が口を開いた。「それ食ったら、お前とっとと帰れ。長田の火がこっちに迫っとる。まァ今夜が山場やな」。今だ! 沈黙を破り潜望鏡を挙げた私は、天井を向いて涼しげな合田に照準を合わせると、殺し文句の炸薬をたっぷり詰めたホーミング魚雷を、手厳しく撃ち放った。「人を助けるって? へりくだりたくないお前がか? バイトも3日続かん職探しサボる男が、ボランティアとは聞いて呆れるゼ。お前が小バカにする防山な、あいつの家はぶっ潰れて今は一家で避難所や。ぬくぬくオジヤ喰いながらクソの足しにもならん能書き並べられんのも、防山と違って俺やお前に雨露しのぐ軒があるからや。早い話が合田、そういうこっちゃろ?」。急所に正確な雷撃を受けたと見え、茹でダコのように真っ赤な合田が、わなわな震えた手でガラスの灰皿を鷲掴んだ。暫くし、落ち着きを取り戻すと奴は、「フン、防山は俺には関係のない人間や。それになァ、仕事なんか何時だって探せれるんや。ま、ギター弾くしか能がないアホには、『ボランティア』の意味は判らんやろな」と犬の遠吠え宜しくわめき散らし、それっきりもう口を利かなくなった。合田の撃沈を確認した私は、「ざまァみろ」と小気味好く内心ほくそ笑み、そ知らぬ顔でオジヤを喉に通した。おばちゃんの作ったオジヤが妙に、砂の味がした…。 合田の家を後に「キティちゃん」を押した私は、真っ暗な湊川商店街のアーケードをトボトボ歩きながら、考えた。奴にあそこまで言う必要はあったのだろうか? いや、あれくらい言っても目は醒めないだろう。半年前、大学の学費返済が滞っているからと私にカネの工面を頼みに来たが、それにも懲りず仕事を探す気配は奴にはなかった。そういった奴への苛立ちや嫌悪感もあったし、反面、体の具合が悪くなれば家族が面倒観てくれる合田の境遇を、一人暮らしの私としては羨ましくも思った。「こういう時こそ家族ってありがたいな」、ふと、寂しさが心につのった。「疲れた…」。確かに、今日は長い1日だった。だが、私にとっての「今日」は未だ暮れようとはしなかった。なぜなら、この商店街を抜け、これから歩く上沢通で、私は、壮絶な「火の地獄」を目の当たりにするからだった…。(次回に続く)


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ギタリスト、作曲家。兵庫県神戸市出身。13歳よりギターと作曲を始める。88年、大学在学中に渡米、各地でアメリカの伝統音楽を修行。帰国卒業後、セッションとツアーワークをこなし、98年シドニーに音楽活動の拠点を移す。99年4月「サムライギター教室」を開講。同年「サムライ・ミュージック・エンターテイメント社」を発足、同社代表。01年、初のギターソロアルバム『Rising Sun/Acoustic solo』をリリース。本年2月、創作に20年レコーディングに5年の歳月を費やしたセカンドアルバム『Industrial Complex/Rising Sun Ⅱ/Electric solo』を発表。コンテンポラリーギターとポップフュージョンの追求を今も続ける。ギタースクールでは音楽基礎からの丁寧な指導をモットーに、現地高校での英語によるギター指導、国籍年齢を問わず延べ500人以上を教える。ギター指導歴20年。APRA認定会員。本誌コラムを10年以上にわたり執筆。趣味は日本近現代史・日本海軍史・司法犯罪史・米国史ならびにアメリカ音楽史の研究、時事討論、読書、料理、映画鑑賞。当コラムのご意見ご感想は samuraiguitar.com もしくは samuraiwest@hotmail.com まで。

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子供用自転車の「キティちゃん」を新たな相棒に加え、防山の無事を見届けた私は山陽本線の高架橋に沿って、さらに東に進んだ。神戸駅前のD51広場から中央郵便局を右目に栄町通、中華街の南京町を抜け鯉川筋に出ると、そこに立体駐車場のMKパーキング、即ち私の「昼の職場」が在る。12階建てビルに匹敵する、収容220台のタワーパーキング。ノッポの立駐は中途から折れることなく、相変わらずその長身を空高く聳え立たせていた。私は、職場の仲間が誰か来ることを願い当座、鍵の閉じた立駐事務所の前で時間を潰した。すると間もなくし、自転

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