オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
娯楽記事

風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!


提言する阪神大震災/復興の条件⑥

06/10/2011

このエントリーをはてなブックマークに追加

災害緊急サムライ社説
「提言する阪神大震災/復興の条件⑥」

高慢ちきで自称インテリを標榜する旧友の合田を撃沈したあと、私は、子供用自転車の「キティちゃん」を押し、帰途につくことにした。真っ暗な東山商店街のアーケードを抜け湊川公園前の大交差点、つまり名物「人工衛星饅頭」の角を上沢通に右折し、西に向かうべく近道のコースを帰路に選んだ。職場からバイクで帰宅する夕方、いつも美しい黄昏を見せるこの道を私は、「夕焼け街道」と勝手に名付けてそう呼んでいた。市電が走ったかつてのこの大通りはしかし、時計の針が12時を指そうというのに、今は上下線ともひどい渋滞だ。「そこの車、もっと左に寄ったらんかいッ、ボケッ!」、そんな怒号もクラクションに混じって聞こえた。自家用車にトラック、タクシーと、こんな夜更けにみな何処に行こうというのか?今日は朝から一日中、足を棒にして神戸中を歩き回った。その長かった「今日」の仕上げともいうべき、高度な文明生活に慣れ切った若い私への「ヤキ入れの儀式」は、こうしていま、幕を上げたのだった…。

読者の皆様、ご機嫌如何でしょうか。去る3月、宮城県三陸沖で発生した「東北地方太平洋沖地震」は、激烈な破壊力をもって多数の尊き人命を奪いました。また今回の地震は、原子力発電所被災という厄介な問題をも誘発させ、我が国は未曾有の惨劇に包まれました。つきまして当緊急企画は、1995年の「阪神・淡路大震災」で被災しました不肖、私サムライギターリストが自ら味わった経験を基に、今回の震災の「実質的な復興計画」を考えるものでございます。尚、当企画では読者の皆様のご好評により、書き下ろし随想も押し込んでお届けしております。孤独と絶望、恐怖と不条理が空しくも殺伐と過ぎる、阪神大震災発生直後サムライギターリスト死闘の7日間。ではその第4話、早速進めて参りましょう!

上沢2丁目を過ぎた辺りだった。「おとうちゃん、はやくッ…」、誰かの悲壮な叫びが長田神社に向かって左側歩道を歩く私の耳に、生暖かい火災風に乗って届いた。声のする斜め向かいに目を凝らし、私は愕然とした。携帯電話が未だ珍しい時代とは言え、リヤカーなどとうの昔に見納めて久しい。そのリヤカーに長屋の住人が一家総出で家財道具を手当たり次第、積みこんでいるのだ。どういうワケかこの地区には未だ電気が通じているらしく、荷物が運び出される家の中の混乱ぶりが、煌々と明るい室内灯のお陰で私の居る場所からもはっきりと見えた。私は「キティちゃん」を投げ出し、通りを飛び越えたい衝動に駆られた。が、ここは私の出る幕では無い。既に彼らの隣人が「深夜の引越」を手伝っているし、それに、よく知りもしない私が行けば彼らの邪魔になる。夜空を焦がす大きな火柱に加え、勢いよく噴き上がっては家々に降り注ぐ火の粉が、会下山公園下の界隈一帯に見えた。あそこからここまでは凡そ一丁、恐るべき火の津波は時々刻々と迫っていた…。 相変わらず大通りは消防車が入れない無秩序さだ。呆然と立ち尽くす私の前に、ウィンドウの降りたポルシェ928の車内から、「UB40」の曲が馬鹿デカい音で流れて来た。眼前の修羅場など蚊帳の外と言わんばかりに、男と笑いながらポテトチップをボリボリ頬張る助手席のバカそうな女が一瞬、目に入った。これからディスコにでも踊りに行くのか知らんが、一体どういうつもりなのか? 火ダルマの街とポルシェ。この歪(いびつ)に捩錯した風景が一枚の絵に納まろう筈は無く、私の困惑はやがて深い怒りに変った。ふと気が付くと、いつの間に居たのか私の傍に、タオル鉢巻の年配の男が立っていた。男も暫く前から通り向こうの騒ぎを眺めていたらしく、目が合うと男は私の心を読んだかのように、憮然とした表情で「世も末ってのはこういうこっちゃな、兄ちゃん…」と言った。男や私の心配をよそに、メラメラと炎の舌を出した「赤い悪魔」は、悲鳴と怒号が渦巻く長屋を次々と呑み込み、総てを焼き尽くして行くのだった…。
長屋と言えば…、大正の末期か昭和の初期に建てられたモルタル使用の半洋風な「2階建て」の長屋街が、奇跡的にも太平洋戦争のあの阪神大空襲を免れ、上沢通には未だ多く残っていた。1階が商店で2階が商店主の住処という、いわゆる大正庶民のあのレトロ建築だ。そうだ!ここから2丁先の長屋に、樫本さんが住んでいたっけ?その樫本さんを忘れていたとは、自分としたことが迂闊だった。彼の家は大丈夫だろうか?防山の家の時みたいに、またもや私の心臓は早鐘を打った。私はかまびすしい火事場騒ぎの大通りを、長田神社の方に向かって一目散に駆け出した…。
樫本さんは、オールド・タイム・ミュージックのアメリカ古典民謡から、ドク・ワトソンやベラ・フレックらの前衛ブルーグラス音楽までを網羅精通し、自らはギターやフラット・マンドリンそしてフィドルなどを自由自在に操る、昼間はなんと屋根瓦職人という生粋の下町神戸の音楽人だ。彼とは共にした或る音楽サークルが切欠で、いつしか音楽や人生を深く語り合う仲になっていた。私よりも7つ年上の彼は、高校生の時分から妹さんと2人っきりで長屋に暮らしていた。私がその生い立ちを不思議に思い、或る日それとなく尋ねてみると、母親はとっくの昔に病死、酒乱の父親は樫本さんと妹さんを残し、彼が高校に入学した直後に忽然と消息を絶った。夜学に通いながら彼は妹の面倒を親代わりに見、立派に育った彼女は晴れて去年、長屋の部屋から嫁いで行ったという。事もなげに淡々とそれらを語る樫本さんに私は、生きることの厳しさをしみじみと感じた…。
雨漏りするシミだらけの古い天井は波型に歪み、冬は隙間風が容赦無く吹き抜ける部屋には、とてつもなく大きくて立派だが、間取りには不釣合いなアメリカ製の大型冷蔵庫が1台あった。「これはなァ、ワシが瓦の仕事を始めた時に親方に買うてもろうたんや。『冷蔵庫は頑丈なほうがええ』ってな。あの人ほど心のデカい人はおらん。男と生まれた限りは、あれくらい大きな人間になりたいもんや」。ヘビースモーカーの音楽家は灰皿に山盛りの吸殻を作りながら、いつも私にその話をした。床といい壁といいタバコのヤニにまみれた茶色なのに、ギターと冷蔵庫だけはピカピカに磨き上げられ、いつ訪れても輝いていた…。
残業で遅くなっても何故か家に帰りたくない夜や、言葉にならない小さな不安が心を占める寒い夜は、決まって私は樫本さんの家に立ち寄った。長屋前にバイクを止めると、部屋からアコースティックギターで爪弾く「ブラックマウンテン・ラグ」や、「ケンタッキーワルツ」が通りの外まで漏れ聴こえて来る。そんなとき私は「峠の我が家」にでも戻った気分で、頬が緩むほどの温もりを胸に覚えつつ、ガタピシ鳴る木の階段を一気に駆け登るのだった。2階の部屋の裸電球が一つ灯る畳の上には、タバコの煙をもうもう燻らせながら、英語の音楽雑誌を捲っては思い出したようにギターをかき鳴らす、真っ黒に日焼けした無愛想で、頑固で、そして無限に優しい樫本さんの後ろ姿がいつもそこに、あった…。

「音楽家を路頭に迷わすは哀れ也」と親切心から割り引いたのか、五番町一角の樫本長屋だけをぽつんと残し、「火の軍団」は他のすべてを灰にして東に遠ざかった。いまや、田んぼの畦道に侘しく立つお地蔵様の祠というか、見捨てられた孤島のような格好の樫本長屋は、焼け残ったこと自体は幸運な話ではあるが、以前にも増してみずぼらしく見える。そんな貧相な風体に追い討ちをかけ、消防車の赤い点滅灯がモルタル壁に走るヒビ割れを正確になぞって、淡い煙の中にそれを浮かび上げていた。2階の部屋に人影は無い。「樫本さん…」、多分、無事に何処かの避難所に逃げたのだろう。彼もとうとう一人ぽっちになってしまった。これから私も独り、あの陰気な仮避難所に帰るのかと思うと、やるせないやら寂しいやら、行く当ても無い野良犬にでもなった気分だった。何れにせよ、陽気な音楽が夜に鳴り響いた「峠の我が家」の、その都会の小さなオアシスを失った私にとって、大火がさらって行った「日常」はあまりにも、大きかった…。 樫本さんの家から近道したはずの新長田の駅裏は、とんでもない大混乱のさなかだった。「小郡班、そこから移動して下さいッ!県外の各車は退避線まで撤収、速やかに移動せよッ!」。拡声器ががなり立てる怒号の指示、路上に散乱する消防ホースと消火機材、上空を飛び交う自衛隊と消防のヘリ、消防士が右往左往する真っ只中に「キティちゃん」と私は偶然、迷い込んでしまった。水の出ないホースを抱えた消防士たちは何をする様子もなく、ただ呆然とその場に立ちすくんでいた。道路が寸断され断水しているから、消火栓から出るはずの水も出ない。県外から応援で駆けつけたにも関わらず、彼らの成す術は此処においては無かった。この期に及んでは、燃えるに任すより他に手は無いのだ。そんな微動だにしない銀色の防火スーツを着込んだ男たちの後ろに、「キティちゃん」を押した私は恐る恐る、立った。と突然、目に飛び込んで来た心臓を止めるほどの光景。背筋に戦慄が走り、そのとき私の瞳孔はカッと大きく開いたのだった…。(次回に続く)


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ギタリスト、作曲家。兵庫県神戸市出身。13歳よりギターと作曲を始める。88年、大学在学中に渡米、各地でアメリカの伝統音楽を修行。帰国卒業後、セッションとツアーワークをこなし、98年シドニーに音楽活動の拠点を移す。99年4月「サムライギター教室」を開講。同年「サムライ・ミュージック・エンターテイメント社」を発足、同社代表。01年、初のギターソロアルバム『Rising Sun/Acoustic solo』をリリース。本年2月、創作に20年レコーディングに5年の歳月を費やしたセカンドアルバム『Industrial Complex/Rising Sun Ⅱ/Electric solo』を発表。コンテンポラリーギターとポップフュージョンの追求を今も続ける。ギタースクールでは音楽基礎からの丁寧な指導をモットーに、現地高校での英語によるギター指導、国籍年齢を問わず延べ500人以上を教える。ギター指導歴20年。APRA認定会員。本誌コラムを10年以上にわたり執筆。趣味は日本近現代史・日本海軍史・司法犯罪史・米国史ならびにアメリカ音楽史の研究、時事討論、読書、料理、映画鑑賞。当コラムのご意見ご感想は samuraiguitar.com もしくは samuraiwest@hotmail.com まで。

このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事

子供用自転車の「キティちゃん」を新たな相棒に加え、防山の無事を見届けた私は山陽本線の高架橋に沿って、さらに東に進んだ。神戸駅前のD51広場から中央郵便局を右目に栄町通、中華街の南京町を抜け鯉川筋に出ると、そこに立体駐車場のMKパーキング、即ち私の「昼の職場」が在る。12階建てビルに匹敵する、収容220台のタワーパーキング。ノッポの立駐は中途から折れることなく、相変わらずその長身を空高く聳え立たせていた。私は、職場の仲間が誰か来ることを願い当座、鍵の閉じた立駐事務所の前で時間を潰した。すると間もなくし、自転

この記事を詳しく見る

CATEGORY

風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!

CATEGORY

娯楽記事

Side girl 20190702
Side 2

FOLLOW US

SNSで最新情報をゲット!

NEWSLETTER

メールで最新情報をゲット!

メールを登録する

COUPON

オトクなクーポンをゲット!

全てのクーポンを表示