オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
娯楽記事

風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!


「提言する阪神大震災/復興の条件⑧」

06/12/2011

このエントリーをはてなブックマークに追加

災害緊急サムライ社説
「提言する阪神大震災/復興の条件⑧」

読者の皆様、ご機嫌如何でしょうか。去る3月、宮城県三陸沖で発生した「東日本大震災」は、激烈な破壊力をもって多数の尊き人命を奪いました。また今回の地震は、原子力発電所被災という厄介な問題をも誘発させ、我が国は未曾有の惨劇に包まれました。さて、続行しております当緊急企画は、1995年の「阪神・淡路大震災」で被災しました不肖、私サムライギターリストが自ら味わった経験を基に、今回の震災の「実質的な復興」を考えるものでございます。いよいよ当企画も終盤、残すところあとわずか。時間と文字数節約のため、先を急ぎ進めて参りましょう!

 

【天災か? 人災か? 「都市伝説」の阪神大震災】
1995年1月17日午前5時47分、兵庫県南部に発生した阪神大震災はマグニチュード7、最大震度7の激震、地震規模は戦後最大(今回の「東日本大震災」が記録を更新)、震源地は兵庫県淡路島北部淡路市岩屋、明石海峡大橋淡路島側アンカレイジ埋設の直下地底でした。ところで、この明石海峡大橋の建設は、1986年に国家プロジェクトとして工事着工、建設省揮下ゼネコン及び大小下請けを大動員の上、1989年に完成しました。着工当初、神戸市内の土木測量会社に勤務していた私も、ボーリング調査(地中の土をメートルピッチで採種し地質や水質を検査する調査)や水準測量(地盤の傾斜や沈下状況を調べる測量方法)等に駆り出され、その工事の規模には度々驚嘆したものです。それから時は流れた阪神大震災発生より数年後、巷で明石海峡大橋にまつわる妙な噂を耳にした私は、自らが建設の仕事に携わったこともあり、これに深い興味を覚えました。少々話は長くなりますが、そのお話について触れてみたいと思います…。 まず、被災した神戸について、神戸市は戦後の高度成長期から今日までと、開発一本槍の「開発行政」を貫きました。時の神戸市長・宮崎辰雄氏が考え実践した「山、海へ行く」でおなじみ、「宮崎行政」がそれです。その「宮崎行政」の独特な手法とは、①神戸市北部の山間部を切り崩し、削り出された残土をベルトコンベヤーで海岸部まで運ぶ、②残土をさらに艀(はしけ)に載せ神戸港沖合に海中投下(=埋め立て)、③海に埋立地を山に宅地やベッドタウンをと、2つの新たな土地を同時に創生する、といったものでした。そのやり方が結果的に大阪万博(1970年)以来の大型イベントの、「ポートピア81」を空前の大成功へと結びつけます。この商業的成功に気をよくした市側は、環境破壊の見地から反対する市民の意向を無視し、ポートアイランド(2期工)や「六甲アイランド」、「空港島」等の建設に続々と着手、完成させます。もっとも、土砂の再利用や残土運搬にかかる経費がゼロに等しく、おまけに新たな土地が増えるとなっては一石二鳥、この「宮崎商法」が後に及び神戸市行政の常套手段として定着します。これにより、「株式会社神戸市」とあだ名された一介の自治体はバブル景気の追い風に乗り、次から次へと新たな土地開発に向けてばく進し、そうした開発狂乱の延長線上に所謂、明石海峡大橋の建設が存在したのです…。 さて、サンフランシスコの金門橋をしのぐ世界最大の吊橋・明石海峡大橋は、「日本の橋梁技術の勝利」と今日も絶賛され、その建築技術の高さは世界に知られます。しかしながら此処で考えたいことは、アンカレイジやケーソンといった吊橋を支える基礎構造物の、巨大なそれらが海底地盤に与えるプレッシャーは如何ほどか? また、吊橋の建設と断層との間に何某かの因果関係はなかったか?という疑問です。実際、吊橋が明石海峡の海底に与えるおよその重量は、海水の水圧に対しわずか30パーセントと報告されますが、局地地震を何時でも発生させ得る危険極まりない断層の真上となれば、話はまったく違ってくることぐらい子供でも判りようものです。 然るに、橋そのものが開発行政の「落とし子」でない生活道路の建設だったにせよ、永年来の神戸市による連続開発の疲労ストレスが地中で蓄積され、その結果、寝る子を起こしたように「断層活動を誘発し活発化させた」と推論した場合、これはもう「都市伝説」を越えた洒落ならぬ話です。とは言え、それを裏付ける確証は何もなく、単なる想像の域を出ないので私としては癪ですが、明石海峡大橋のアンカレイジ直下という極めて意味深い場所で発生した断層活動が、地元民が古くから信じて疑わなかった「神戸地震不来説」を覆し、あの宮崎市長を「まさか大地震が来るとは思わなかった」と慌てさせ、しかも、被災地が岡山や鳥取らの他都市ではない開発の限りを尽くした神戸を狙って襲った、というあからさまな事実。阪神大震災発生の真相を握るカギが、どうやらこの辺にありそうです。実際の話、自然と共存する考えなど微塵もない「開発行政」の、そのしっぺ返しとなって表れたのがあの災厄だったならば、要するに阪神大震災とは、「天災」ではない「人災」だったという人間の愚かさを露呈した、これほど理路整然とした「都市伝説」はないと思うのです。

【復興の条件①・仮設住宅の問題】
津波や地震倒壊で家屋を失くされた東北諸県の多くの皆さんが、現在も「避難所暮らし」という誠に不自由な生活を強いられ、心痛む限りです。目下、仮設住宅の建設が急ピッチで進められているようですが、阪神大震災においてはこの仮設住宅の存在が、ある時期を過ぎた頃から密かな社会問題となりました。冬が東北地方ほど寒くはないにせよ、真夏のトタン屋根は室内を灼熱地獄にし(冬の場合はその逆)、これに対し市がエアコンや断熱材を施したので住環境はある程度快適にはなったものの、新たに発生する電気代や管理コストの問題、また仮設住宅の家賃と光熱費がロハなのをよいことに、いつまでも居座り続ける健全者(不法占拠者=失業者)等の厄介な問題も生まれ、「仮設特別地区を一体、いつまで維持管理し続けるのか?」なる議論が紛糾しました。一人またひとりと仮設住宅から離れてゆく中で、身寄りのないお年寄りが辛い想いをしたり、悲惨な話は、住む人が少なくなったブロックの一室から出火、火災警報器が鳴っていたのに誰も気付かず住人が焼死する、そういった侘しい事件もありました。

【復興の条件②・地場産業の喪失】
神戸は靴の街として知られますが、その関係からゴムや革製品を扱う中小の街工場が、出火焼失が最も酷かった長田区には古くより林立していました。ところが80年代前半より、中国製品の安いスニーカーやケミカルシューズが日本市場に流入し、またバブル景気の崩壊(91年)と重なり中小製靴会社の業績は悪化に次ぐ悪化、辛くもそのトドメを刺したのがあの阪神大震災でした。とは言え、最低限の受注生産が続く限り、地元の雇用もそれなりに守られていた訳で、そういった意味では、工場の焼失が「なけなしの雇用を奪った」と言えます。事業主の多くは古い家内産業的体質で、事業主の家族一同が従業員だったすると一族路頭は必至です。銀行融資も望めぬ状況とあっては工場の再建など絶望的で、震災後、雇用者と事業主まとめて見知らぬ県外の街に一時避難、二度と神戸の土を踏まなかったという話も珍しくありません。東北地方も例外ではなく、過疎化が進んでもなお存在した「地元による地元民のための経済活動」の、そういったミクロな部分に対し、一体どういった復興が可能なのか? こういったことも他県に住む者には見え難い「復興とは何か?」の、実質的意味が問われる極めて深刻な問題といえましょう。

 

【復興の条件③・被災者の精神的苦痛】
地震衝撃によりPTSD(心的外傷後ストレス障害)に代表される、精神障害を患う人が今もたくさんいるという事実、これも阪神大震災の残した見えざる傷です。確かに、床下から殴られるようなあの独特なショックは、一度経験した人間であれば絶対に忘れません。シドニーに移ってしばらくし、近所を走る貨物列車の騒音で夜中に飛び起きたり、ゴルフボール大のひょうが降ったときなどはフラッシュバックに襲われ絶叫し、テーブルの下でぶるぶる震えた記憶が私にはあります。今から考えれば可笑しな話ですが、またしても自分が被災し、今度こそ倒壊する家屋の下敷きになって圧死するのでは?という恐怖が、その瞬間に脳裏をかすめました。五体に支障がなかった私ですらそうですから、瓦礫の下敷きになるなどの重い恐怖を味わった人の苦痛は、私の想像を超えます。阪神大震災発生から17年も経過しようとする今になって、「自分がPTSDだった」と初めて気付く人もいると聞きますし、東日本の人々がいくら地震慣れしているとは言え、あれほどの大きなインパクトは誰構わず激烈でありましょう。従って、被災者に対しては今後もより一層、注意配慮し、手厚いケアと善処をもって充分に対応すべきを、被災経験を持つ私としては切に望むところです。
さて、当企画「提言する阪神大震災/復興の条件」ではこれまで、昭和文学タッチの「書き下ろし随想」をお届けして参りました。来月はそのお話の完結、よって当企画すべての最終回となります。予想を超えた反響とご好評にお応えし、親愛なる読者の皆様には愛を込めてその最後をお届けいたします。乞うご期待下さいッ!! )


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ギタリスト、作曲家。兵庫県神戸市出身。13歳よりギターと作曲を始める。88年、大学在学中に渡米、各地でアメリカの伝統音楽を修行。帰国卒業後、セッションとツアーワークをこなし、98年シドニーに音楽活動の拠点を移す。99年4月「サムライギター教室」を開講。同年「サムライ・ミュージック・エンターテイメント社」を発足、同社代表。01年、初のギターソロアルバム『Rising Sun/Acoustic solo』をリリース。本年2月、創作に20年レコーディングに5年の歳月を費やしたセカンドアルバム『Industrial Complex/Rising Sun Ⅱ/Electric solo』を発表。コンテンポラリーギターとポップフュージョンの追求を今も続ける。ギタースクールでは音楽基礎からの丁寧な指導をモットーに、現地高校での英語によるギター指導、国籍年齢を問わず延べ500人以上を教える。ギター指導歴20年。APRA認定会員。本誌コラムを10年以上にわたり執筆。趣味は日本近現代史・日本海軍史・司法犯罪史・米国史ならびにアメリカ音楽史の研究、時事討論、読書、料理、映画鑑賞。当コラムのご意見ご感想は samuraiguitar.com もしくは samuraiwest@hotmail.com まで。

このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事

子供用自転車の「キティちゃん」を新たな相棒に加え、防山の無事を見届けた私は山陽本線の高架橋に沿って、さらに東に進んだ。神戸駅前のD51広場から中央郵便局を右目に栄町通、中華街の南京町を抜け鯉川筋に出ると、そこに立体駐車場のMKパーキング、即ち私の「昼の職場」が在る。12階建てビルに匹敵する、収容220台のタワーパーキング。ノッポの立駐は中途から折れることなく、相変わらずその長身を空高く聳え立たせていた。私は、職場の仲間が誰か来ることを願い当座、鍵の閉じた立駐事務所の前で時間を潰した。すると間もなくし、自転

この記事を詳しく見る

CATEGORY

風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!

CATEGORY

娯楽記事

Side girl 20190702
Side 2

FOLLOW US

SNSで最新情報をゲット!

NEWSLETTER

メールで最新情報をゲット!

メールを登録する

COUPON

オトクなクーポンをゲット!

全てのクーポンを表示