19/09/2013
「日本と同じように海外でも働き、生活をすることができるのか試してみたかったんです」。オーストラリアのワイルドフラワーに興味を持ち、渡豪を選んだ青井友紀氏。WH中にはいくつかのアルバイトを通じて、英語力の大切さを痛感したという。仕事では大変だったこともあったが、仲間に恵まれ、協力して働くことの大切さ、またそれが売上にも通じるということを学べた。
語学留学でゴールドコーストを訪れとても気に入り、WHで再渡豪を果たした佐藤真理氏。ゴールドコーストを拠点として、チョークアートのレッスンに励んだ。もともとアートをやったことがあるわけではなかったが「オーストラリアでしかできないことをしたいと思っていたとき、たまたま雑誌で見たチョークアートが楽しそうで、まずやってみようと思ったんです」。それがはじまりだった。オーストラリアならではのポップでカラフルな色使いと立体感、そして本物以上に美味しそうに見える絵が最大の魅力だという。第一人者のモニーク・キャノン氏のもと
2012年、日本人初のシドニーズ・ベストバリスタの称号を得た佐々昌二氏。そんな彼のスタート地点もWHだ。WH時代、最も苦労したのは英語だという。「父に背中を押されてきた以上、手ぶらで日本に帰るわけにもいかないし、せめて英語だけでもマスターしたい」という気持ちもあり、日本語環境ではない場所を探して、たくさんのレジュメを落とした。とにかく足で稼いで、ようやく見つけたのは現地のカフェでの仕事だ。英語環境で働くことに抵抗はなかったが、思っていることを完全には伝えられないこと、また相手の言うこともすべては理解できな
「日本と同じように海外でも働き、生活をすることができるのか試してみたかったんです」。オーストラリアのワイルドフラワーに興味を持ち、渡豪を選んだ青井友紀氏。WH中にはいくつかのアルバイトを通じて、英語力の大切さを痛感したという。仕事では大変だったこともあったが、仲間に恵まれ、協力して働くことの大切さ、またそれが売上にも通じるということを学べた。
大学時代、空手のオーストラリア全国大会の招待選手として呼ばれて初めてシドニーに降り立った杉森匠司氏。突き抜けるような青空や素晴らしい環境に一目惚れし、就職活動などすべて放り出して「ここに永住するんだ!」という決意を胸に、WHメーカーとしてやって来た。「自分なりに英語を勉強したつもりで来豪したんですが、生の英語は机上の勉強とは違って、痛い目にいっぱい会いました」と当時を振り返る。また「空手があったからこそ今の自分があります」という杉森氏は、全豪空手大会で複数回の優勝経験を誇る実力者だ。ところが来豪後に腰椎椎
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