24/04/2015
「つけ麺」の生みの親であり、老舗ラーメン店「東池袋大勝軒」創業者の山岸一雄氏が4月1日にこの世を去った。その悲報後、お店には普段の倍以上の客が訪れ、手紙や花が手向けられた。また、生前に山岸氏にお世話になった弟子の姿も多数あった。山岸氏は3年ほど前から入退院を繰り返していたが、心不全のため病院で80年の人生に終止符を打った。命日の数日前には、もうろうとしながらも「いらっしゃい、いらっしゃい」「ありがとうございました」と、店に出ているときのようにつぶやいていたという。
長野県で生を受けた山岸氏。戦争で父を失い、戦後の厳しい食料難の時代のなか、家族に仕送りをするために17歳で上京を決意。親族が営むラーメン店などで修業を積んだ。つけ麺が生まれたのは1955年夏の暑い時期。山岸氏が厨房で、ゆでざるに少し残る麺を集め、まかないをすぐに食べられるよう流水で洗い、スープにしょうゆや甘酢を加えた特製だれを湯のみ茶碗に入れ、つけて食べたことがきっかけだ。それを見た客から「自分にも食べさせて」と請われたという。「特製もりそば」という商品名でこの世に登場したのがつけ麺の元祖である。その後1961年、「大きく軒並みに勝る」という意味を込めて『東池袋大勝軒』として独立創業を果たす。魚介類と豚や鶏がらなどを煮込んだコクのあるスープ、そして、ボリュームたっぷりのつけ麺は人気を呼び、妻の支えもあって店は瞬く間に繁盛した。子供がいなかった山岸氏は「企業秘密はないので、レシピを教えてくれと言われれば誰にでも教える。ラーメンが好きは誰でも弟子に迎え入れる。弟子は子供のようなものだから」と、大勢の弟子を育て、後世に味を伝えた。全国に広がるのれん分けした店は100軒以上にのぼるが、ロイヤルティーは一切とっていなかったという逸話がすでに伝説化している。
1986年に妻に先立たれたときには山岸氏は生きる気力を失い、悲しみのあまり店をたたもうとしたこともあった。休業をしていた山岸氏に再びやる気を起こさせたのはお客さんの熱意だった。自分のつけ麺を食べたいと言ってくれる強い要望を受けてついに店を7ヵ月後に再開している。
2007年に地域の再開発のあおりを受け旧本店の閉店が決まると、山岸氏は第一線から退いたが、その翌年、一番弟子の飯野敏彦さんが創業店から約100メートル先の場所に現在の本店をオープンさせた。オープンに際しては開店前から長蛇の列となり、用意した400食は約6時間で完売した。その後も山岸氏は体調を崩すまでほぼ毎日、店の外で椅子に座り、客ひとり一人に笑顔で礼を言い続けた。
現在では、全国中に専門店ができるほどの人気を誇るつけ麺。提供する店舗は2万軒以上にも及ぶと言われている。そしてアジアやアメリカをはじめ、ここシドニーにも脈々と山岸氏の生み出したつけ麺が根付いている。今回は山岸氏が考案したつけ麺の特徴のひとつである、太麺を使用したつけ麺を扱う4店を紹介することで、らーめん業界における山岸氏の功績に敬意を表すとともに、鎮魂の祈りを捧げたい。
いまチャイナタウンで行列が止まらない
めんや チャイナタウン
つけ麺 $10.90
ランチとディナー間の時間帯も満席に近いほどの人気を誇っているチャイナタウンの老舗らーめん店『めんや』。日本人を含めたアジア人を中心に学生に高い支持を誇る当店では、3年前から「豚骨しょうゆ」と「鶏がら辛味肉みそ」のつけ麺を提供している。こだわりのプライムハードを使用した麺のスペシャリスト『WPM』が製麺する、14番の特製太麺を、通常の豚骨しょうゆのスープとはひと味違った、魚介のテイストがたっぷりの濃厚魚介豚骨つけだれと食せば、口の中に独特の酸味と優しい味わいが広がって次々と箸が進んでしまう。通常の麺も選択可能。
シドニーにつけ麺旋風を巻き起こす
らーめんずんど
坦々つけ麵 $12.90
2年前にワールドスクウェアに『らーめんずんど』が登場してから、巷で話題を呼んだつけ麺オリジナルや魚介つけ麺。そしてこの2代巨頭に続いて、昨年登場したつけ麺カレー、今年新登場のつけ麺ブラック、つけ麺レッド、つけ麺担々と、最多のメニュー数を誇るのが当店。今回紹介する4店の中では最も極太の麺を使用しており、サイズもノーマル、ラージ、スーパーラージと選ぶことができる。噛み応えのあるつるっとした喉越しのよい麺は、2年経った今でも日々改良を怠らないこだわりようだ。豚骨ベースの坦々スープは、ゴマの風味がよく効いたピリ辛仕上げ。常に進化を求める当店のつけ麺は病みつきになること間違いなし。
FacebookでLikeを押すもしくはCheck inをしてくれたお客様!煮タマゴひとつもしくはレギュラーサイズのつけ麺を無料サイズアップ!!
|
SNSで最新情報をゲット!
メールで最新情報をゲット!
メールを登録する